動画投稿の楽しさと難しさ
自分がYoutberなるなんて思いもしなかった。
いや、語弊があるかな動画投稿者になるなんてと言ったほうがよいですね。
Youtubeといえばいまや小さな子たちまで見るような普通なものになったが、5年以上前に利用し始めたころは、ダンスをしていたということもあり、自分の好きなダンスのジャンルやその動画から派生したものを見ては真似して、自分の中で学習していろいろ楽しんでやっていたころが懐かしいですね。
社会人になってからはゲーム実況している人をみたり、パズドラを当時はやっていたので、すごいとされる人のプレイを見てこんな動かし方があるんだな~と感服していたななんて思います。
その後は世の中がYoutuberというものを認識し始めたころにはたくさんの動画投稿者の人が出てきて、それを見て、楽しんでいましたね。
心のどこかでは常におれもやってみたいな~なんて思っているだけでしたが、ついに始めることになったわけなのだが。正直遅いよな~なんて思っているのだけど、これが取り組んでみると、おもしろい。
全く知らないところから徐々に知識をつけようと調べては実行している毎日。
こちらのほうが見やすいんだな~と調べては感心してしまう。
はやく自分の中に落とし込んで「見てもらえる」ものにレベルアップさせたいものですね。
ゲームしながら話すのは得意というか好きなのでべらべらしゃべりながやっていきたいなとは思っているのですが、おもしろいことをしゃべろうともがくことはしたくないので、おもしろそうだなと思ったものはどんどん投稿していこうかなと思います。
そうすればその内、動画もよくなっていくんじゃないかな?なんて楽観視している。
大事なのは行動に移すことだとわかった。
だがわかっているだけに動き出すことが苦手な自分はその瞬間が辛い。
ただ、動き出せばなぜそんなにつまらないことで行動していなかったのだろうか?と後悔に似た感情がでてくる。
動画投稿の楽しいところは、自分にとっては新しいことを学習しアウトプットするということ。
難しいところはどれを学べば自分の伝えたいことや見てもらえる動画になるのかを考え、学び、創り出すことだと思う。
だから最初は「パクリ乙」って言われても良いから動画を載せるということが大事だと思う。
模倣は悪いことではない。ダンスをしていたころも同じようなことに出会った。
その時の打破の方法は「守・破・離」しゅはりである。
自分の解釈ではあるが、「守」は教えを守って学ぶ、ダンスはストリートダンスをしていたこともありyoutubeが先生のようなものだった。
だから真似をしてその動きを学ぶ。「破」は真似で学んだものから派生し、教えてもらったところから自分という要素をどんどん、真似ていたところに混ぜていくような感じ。
「離」は「破」で自分と真似を合成して、自分のものにしていくということだと思っている。
これからはまずは「守」を主にして行動する。
まずは未熟な初動画でも見ていってください。
~今日ののらりくらり~
はじめの一歩、大いなる一歩